沖縄を襲った大飢饉
沖縄は1709年、台風によって大きな被害を受けました。
その上に日照りが続き作物がとれず、この年は「丑年の大飢饉」といい伝えられています。
沖縄ツアーなどで観光するなら、こうした島の歴史を知っておくとより奥深い旅をすることが出来るでしょう。
義留が見たのは、餓死した女の死体を墓まで運ぶ人たちでした。
毎日のように死人が出るので、葬式を出す心のよゆうなどは無かったのです。
首里の王城下の、士族の上位である親方の下男である義留は、まず最小限の食べものは与えられていました。
ひでりのあとは雨も次第に降るようになって、野も山もよみがえってきましたが、まだ民百姓は立ちなおることはできなかったのです。
義留は生れ島(村)に、ひさしぶりに帰ってみて、この惨状に胸のつぶれるような思いをしました。
村の人々はついに他村の蘇鉄にまで手を伸ばしました。
野生の蘇鉄とは言っても、自村の共有です。
せめて最後の食料として、とっておきのものです。
命の綱とも言えるとても大事なもの・・・。
この貴重品を、他村のものに盗られてはたまったものではありません。
盗られた村人は激昂して、若者たちを動員し、蘇鉄群生を警護しました。
蘇鉄は幹を扁平に切って、乾かして調理するのですが、調理方法をまちがえてしまうと、中毒して命を失うことになります。
義留は村の人たちの幾人かが、蘇鉄で命を絶ったのも見ました。
まさに蘇鉄地獄です。
雨が降り続くかと思うと、ひでりが何か月もやってきます。
その上何回も強烈な台風が襲来します。
食料が無くなれば、義理も礼儀も失われるのは当然のことでしょう。
首里の上々の王子、按司、親方などには、身近なことではありませんでした。
義留は、この惨状に目をおおうているかのようにしか見えない上の人たちを、心の中でねたましく思っていました。
打つ手はないものかともどかしく思ったのです。